だけどステージではギラギラとぶっとんで、しなやかだった。
閉鎖的な田舎で悶々とした少年時代を過ごしていた僕は清志郎のどこかひねくれて社会をいなしていくあの感じに憧れていた。
学生のころに初めて会った木村秀穂氏(以下木村さん)は、いかにも気難しそうなバンドマンの佇まいだったのにどこか清志郎のような含羞を漂わせていた。
まずそこに惹かれた。
実際木村さんも少年時代から今に至るまで清志郎がお手本であり憧れだったという。
派手なステージアクションで弾きたおし暴れまわり豊かな声量で歌いまくる木村さんだが、ひとたびステージを降りると、ロッククラシックスと特撮と昭和プロレスとデカいオッパイを愛し(『奈保子ちゃん』聴くべし)笑いに事欠かない良き父親に戻る。
そのギャップにやられてしまった人は多いはずだ。
そうかと思えば近年では、地域密着型エンターティナーとして活躍する側面もあるけれど、弱さや悩みと言った本音は押し隠してたり。
悲しい気持ちもむしゃくしゃした気持ちも、ハッピーな瞬間もいてもたってもいられない高揚も、あれこれ言うより音楽の現場に凝縮して爆発させる主義の男。
まさに「ライブこそすべて」というわけだ。
そんな木村さんがこのたび、これまでのバンド遍歴/音楽活動を総括するようなライブアルバムをリリースした。
昭和が終わる直前の 1988 年春。
右も左も判らない田舎者の僕は立命館大学に進学した。
入学式の衣笠キャンパスは希望に満ちて眩しく、無数の新入生勧誘のブースが華やかだった。
しかし「中川会館前」という校内で一番目立つ場所に陣取った(深夜に忍びこんで場所取りしてたらしい)
大学のキラキラ感とは明らかに異質なひと群れがいた。
どこから見てもひねくれ、しかしよくわからない自信に満ち溢れていたこのブースの連中は後年、くるりやおとぼけビ~バ~などを輩出し名門音楽サークルの呼び声が高まる「ロックコミューン」といった。
その中心でさらに不敵なオーラを放っていたのが、木村さんたちチキンダンサーズのメンバーだった。
田舎で音楽を聴くしか逃げ場の無かった僕にとって、家を出て最初につながった「世間」は絶好のひねくれ具合であった。
このふてぶてしさを見て僕は即座に入部を決意した。
今でこそ体制が改革されお坊ちゃん化の著しい立命館だが、平成初期までは左翼が幅を利かせる伝統的な学費安め大学でそれを反映してか学生は変わり者が多かった気がする。
ロックコミューンはその変わり者エッセンスを抜き出したような、音楽やカルチャーに関してめんどくさい人だらけだった。
「バンドやろうぜ」的な明るさに背を向け、ひたすらルーツミュージックを探求する先輩方。
めんどくさいながらもセンスに満ち溢れたバンドの数々にもまれ続けたのだから勘違いも甚だしい、だいぶ「世間」の視点の歪んだ学生時代を過ごした気がする。
木村さんにもよく「モノホン聴かなあかんでタッキー」とハッパをかけられた。
下宿でレコードを聴かせてもらったりも。
チキンダンサーズは関西のライブハウス界隈では、すでにちょいと知られた存在であちこちのイベントに登場してはうるさ方を唸らせていた。
そろそろ「イカ天・ホコ天」のバンドブームが押し寄せつつあった頃。
当時の音楽雑誌あたりでは激しいアップビートを強調した「タテノリ」か、ブルースを基調にした「ヨコノリ」か、となんとも大雑把な括りでブームを煽っていた。
ローリング・ストーンズによくたとえられていたチキンは「ヨコノリ」のバンドかと思いきや、ヴォーカル・松尾氏の書く、良識派を挑発しつつも諧謔に富んだ歌詞と、それを具現化させる「音の塊」のような分厚い疾走感のあるステージングはパンクやグラムロックの影響も感じさせた。
この緊張感と若気の至りは、その頃関西でよく見かけたストーンズフォロワーバンドとは明らかに一線を画していた。
むしろ京都の大先輩格である村八分に近かった気がする。
1989 年、チキンは若干のメンバーチェンジを経て、とある全国コンテストに出場し、まんまと優勝する。
ロックコミューン内では尊敬や驚きより「ほんまに獲ったんかい」という爆笑をまじえた反応だった。
僕にとっての「世間」がますます近いところにやってきた。
テレビ・雑誌に登場し、破竹の勢いでチャートを席捲・・・と華々しい活躍を見せると思っていたチキンは、メジャーデビューを果たすもののファーストアルバムリリース直後から急激に失速する。
世間を斜めから見つつ不真面目ながらにも挑んでいく姿が魅力だったチキンがなぜか真正面から世の中をとらえ、憂い、真面目に苦悩するバンドに変貌していた。
正直に言うと学生バンドの自由さでのびのびやっていたのが、プロ志向となってメンバーチェンジを余儀なくされた時点でいちファンである僕にも一抹の不安を感じとってはいたのだが、その理由や背景は本稿の趣旨から離れるので割愛する。
僕も学校を卒業し、社会人となって現実の世知辛さを実感し始めていた。
近づいていたはずの「世間」は、ようやくピントがあってきて冷たく遠ざかっていった。
チキンダンサーズ解散後、関西に戻り、SEVEN DAYS で活動していた木村さんはやがて再び東京に拠点を移した。
SHADY DOLLS に加入するためだ。
SHADY 解散後は元・KING SIZE、おしょうさんに呼ばれ、監獄ロックにも参加した。
おしょうさんといえばかつてチキンが影響を公言していた重鎮である。
それでもなおバンドマンとしてのあり方を模索している噂は時折伝え聞いてはいたのだが、なにぶん京都と東京は遠く、個人的にも仕事で迷走しておりあえて音楽から離れようとしていた時期と重なったので、ちょうどこのへんの活動歴の認識が薄い。
本人に確認すれば何をしていたのか、時系列は追えるのだけど、木村さんは「あえて君の目で見てきた『極私的』な木村論で良い」という。
「その方が客観的な年表より生命感があってリアルだから」と。
「ライブ」が好きな木村さんらしい。
だがやがて SNS の時代が到来する。
それぞれが発信手段を持ち、誰もが近況をリアルタイムで知る場が平等に与えられた。
創作のあり方にも影響をもたらしたのは言うまでもない。
自分から発信できる魅力については、インターネットが無かった頃にどんな生活をしていたのかももはや想像できないぐらいだが、再会した木村さんはそのSNSを活用して発信しまくっていた。
あの木村さんが虹色のアフロのヅラとデカい伊達メガネという出立ちで司会に演芸にと活躍していたのには面食らったが、「どこでどう振り切れたのか」ではなく普段の木村さんを知る人ならこれもそのまんまいつもの木村さんなのです。
このロックンローラーとの二面性は、グレートムタやタイマーズのゼリーみたいなものか、あるいは郷秀樹と帰ってきたウルトラマンみたいなものか。
プロレスと清志郎と特撮という観点からすると、なるべくしてなった気もするが。だが当然本業はロックンローラーであることに変わりはない。
マスター木村 One Plue One ではギターヴォーカル。
スマートソウルコネクションではリードギタリスト。
ソロ弾き語りもこなす。
そしておしょうさんの遺志を継ぐ監獄ロックの再始動、と精力的に動き回る姿に「栄光も挫折も全部ひっくるめて人生(LIVE)を楽しもう」という意志を感じた。
その決意表明みたいなライブアルバムが今作であります。
ライブも人生も一発勝負だから失敗やハプニングはつきものだけど、それも醍醐味のひとつだと愛することができれば面白い。
かつて悩み、迷いながら作り上げたチキンダンサーズやSEVEN DAYSのレパートリーが時を経て活き活きとセルフカバーされている本作のリリースにあたり、後輩である僕に「なんか紹介文がわりみたいなんを書いてくれへんか」と木村さんからご指名をいただいた。光栄なことです(ちょっと自分語りが過ぎた面は大目に見てください)。
木村さんと会って何年経ったのか、計算も大変になってきたが、ロックコミューンの練習場兼たまり場であった学生会館第 2ホールにいる気分のままであの時代の人々といまだに音楽でつながっている。
タイムマシンなどなくてもジャカジャンと楽器をかき鳴らせば、いつでもあの時代に戻れる。音楽ってありがたい。
夢ばかり見ていた少年がやがて大人になり壁にぶち当たり、長いこと持て余してきた「世間」だけど「これでよかったじゃん」と、気がつけば面白い形で手元に戻っている。良い伏線回収だな。
来年還暦を控えて、なお Keep On Rockin'する木村さんを同じ時代を生きてきた一人としてまた、ロックコミューンOBとして、これからも追っかけていきたいものです。
最後になりましたが、このコラムをいまは亡き、憧れのおしょうさんと渡部俊明さんに捧げます。
マスター木村 One Plus One
ライブこそすべて
Master Kimura One Plus One
All You Need Is Live!!
Release : 2025.10.24
Label : Big Penny RECORDS
Type : Album
Code : BP-004
Price : ¥2,000 (with tax)
Format : CD / Digital
【CD】
Online Store
01. 目がまわる
02. ワインディングロード
03. HI SHI DOO DOO
04. 奈保子ちゃん
05. 君の星
06. 砦
07. ぽっかり
08. もっともっとおくれ
09. 重いカバン
10. LAND IN VAIN
11. みんなどこかに消える(CDのみのBonus track)
スマートソウルコネクションのギタリスト木村秀穂が、ゴーグルエースのタローファンクジュニア、THE天国畑JAPONのドラマー兼ものまねミュージシャンのチャン・オータとともに結成した“マスター木村One Plus One”。2022年のバンド結成以来、ライブハウスであろうと、場末のバーであろうと、街の夏祭りであろうと全身全霊のパフォーマンスで子供から大人まで世代を超えて狂喜乱舞させてきた彼らの1stアルバムにして最狂のライブ盤『ライブこそすべて』が、2025年10月24日にリリース。
アルバムタイトルに込められた彼らの信念、「三多摩地区ナンバーワン・パブロックバンド」の呼び声が高いライブパフォーマンス、そしてエンジニアに川口聡を迎え収録された、よりリアルで純度高めなサウンドなど、その真価がフルに発揮された、まさにロックンロールへの憧れが爆発した実況録音盤となっている。